身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

どうしてよいかわからない

先日、患者サポートセンターの担当者と夫と3人で話し合い「長期療養型病院」の方向でということに落ち着いた。
だが、それはあくまで「中心静脈栄養」ありきだ。


早朝からYouTubeを見ていた。
ある医師は
「人間は食べられなくなった時に、自然に死ぬことが一番楽だ」
と言う。


介護療養型施設は来月で廃止される。
これは「療養型病院」ではないのか?
調べてもなかなかヒットしない。


食べられなくなったら、胃ろう、中心静脈栄養、末梢からの点滴。
この3つのうち、どれかを選ばなくてはならない。
一番自然なのは末梢からの点滴だろう。
しかしそれはどこで診てくれるのか?


15年前に働いていた病院で、胃ろうも中心静脈栄養もしない患者さんがいて、末梢からの点滴になった。
その病院は胃ろうも中心静脈栄養のルートも作られる医師がいなかったからだ。
家族の希望ではない。


確かに自然死に近いから、望ましいだろう。
しかし栄養状態の悪い患者さんの末梢の血管など、引っ込んで縮んでいて、なかなか入るものではない。
看護師を変えても変えても入らず、10回目でやっと成功したりといったことが当たり前に起こる。
しかもすぐに漏れる。刺し直しをする。
それが亡くなるまで数日続く。


毎日毎日ブスブスと針で刺されることは、拷問だ。
私は口から栄養を取れなくなった患者の家族であり、元看護師だ。
ちなみに胃ろうであるが、医師はよく
「簡単な手術で患者さんに負担が少ない」
と言う。
だが、弱った患者さんの胃に穴を開ける。
胃ろうを作ったものの、一度も使わず、状態が悪化して亡くなる患者さんを見ている。
中心静脈栄養はどうか?
生きながらえるが、患者さんの身体は衰弱していく。
下肢から腐敗していく。
さらに感染リスクも高い。
それでも生きながらえる。


放置はどうか?
在宅なら可能だ。
だが我が家ではみれない。
私の身体がもたない。心にも大きな負担だ。


昨日「中心静脈栄養」の方面で考えた。
考えたと言っても家族の立場だ。
医療保険で入院が可能だから選択肢の一位にした。


母の尊厳を考えて、苦痛がなく看取るなら「何もしない」これが一番の方法。
だが、綺麗事だ。
月に20万円も30万円も払えない。
うちは金持ちではない。
特別養護老人ホームは40〜400人待ちだ。
それだって、従来型個室か多床室なら年金内におさまるが、ユニット型個室になると、費用が莫大になる。
従来型個室か多床室は何年待ちかわからない。


在宅で90代の母親をみていた60代の息子が、母親が亡くなったのに訪問診療医を呼んで
「生き返らせろ」
と言った。医師は不可能と言った。
すると息子は散弾銃で医師たちを殺害した。
この息子は50代から母親をみていたようで、無職である。
つまり「母親の年金で生活」していた。


私は母の年金などあてにしていないし、あてにするほどの金額を受給してもいない。
だが世の中には親の年金で生活している人が大勢いる。
一時期、亡くなったことを伏せて、部屋の一室に放置して、ミイラ化で発見された家が問題になった。
悲しいし、あさましい。


うちは今の生活を保つことでいっぱいいっぱいで、余分なお金はこれっぽっちもない。
私には兄弟姉妹がいないから、数名でお金を出し合うこともできない。
私が若い頃に考えていた「社会的弱者」になってしまった。
病気で働けない。


胃ろうも最初は考えた。
だが胃をメスで切る。身体に負担がないわけはない。
中心静脈栄養を選択肢にしたのは、経済的なことと、母が一番安楽だろうと考えたからだ。
だがそれに遺を唱える医師がいる。


最終判断は、実子である私しかいない。
私が働ければ良かった。


母は父に死ぬまで抗がん治療をする病院に居続けさせることを選んだ。
父は苦しんで死んだ。
伴侶の母の意向が優先された。
私は今でも悔しい。
じゃあ、母も苦しめるか?
そんな復讐は考えていない。
もう母を「一人の人間」としてしか見ていない。


苦しい。悲しい。
貧乏人は、苦労して介護するか、親を苦しませて死なせるかの二択しかないのか。

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