身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

◯山 ◯子

夫と母のお見舞いに行ってきた。
昨日は立体駐車場から病院まで歩いた。
息切れが酷かった。


母は中心静脈栄養が入り、元気になっていた。
車椅子に座っても首がすわり、姿勢が保てる。
私は母に「私だーれ」と聞いた。


「◯山 ◯子」


親として「◯子」と呼びかけたのではないだろう。それはいい。
だが、なぜ旧姓のフルネームで言ったのか?
どこか他人行儀であり、自分と同じ姓。
わからない。
最期まで所有物なのかなと思った。


母の頭は元に戻らない。
とりあえず私を認識はした。
これで母に求めることは、全て終了した。


看護師さんが
「お母さん、宗教に熱心な方なんですか?」
と言う。私は
「某宗教に所属していますが、さほど熱心ではないです」
「部屋で目を開けているときは、ずっとお経をあげているんですよ」


へえ、と思った。
母の10歳年上の姉も、同じ宗教で、最期にお経をあげながら亡くなった。
元気そうに見えるけれど、CVポートから高カロリー輸液をいっているので、死ねないのか。
もういつ死んでも良ければ、好きなだけ長生きしても良い。
娘として、痛みを伴う処置の中止を医師に頼み、そのようになった。
やれることはやった。
この世に贖罪があるのか、成仏したいのか、死が怖いのか。
お経をあげる意味はわからない。


帰りも頑張って、立体駐車場まで歩いた。
後半やはり足が前に出なくなった。辛かった。
へとへとに疲れ、夕食後19時には眠った。


22時半に目覚めた。
母の夢を見た。
母が私が買ってきた服をどんどん捨てている。
私が「辞めて」と騒いでいる夢。
起きてから夫に、母の夢を話した。
私はかなり怒っていたようだ。
夫は
「いつ自分に矛先が向くかと思った」
と言っていた。


服は実際に捨てられたことがある。
結婚していないとき、バーゲンでちょっと皮をあしらったスエードのジャンパーを買った。
好んで通勤に来ていた。
だが母はこのジャンパーが嫌いだった。
散々文句を言っていたが、いつものことなので、スルーしていた。


夏が訪れ秋になりジャンパーを探したがない。
母に聞いたが知らないと言う。
狭い家で収納場所が決まっているのに知らないわけはない。
私のタンスも両親のタンスにもない。
「捨てられた」
悟った。


私は昨夜、
「欲しいものがあっても否定され続けた。実家からそのまま結婚し、欲しいものはあんたにお伺いを立てて買った。今はおしゃれを楽しみたくても太ってしまった!」
「好きなもの買えばいいじゃん」
「今お金ないじゃん!洗濯機が壊れた時も、車が壊れた時も、あんた私に断りもなく自分で買ってきたよね?白で統一したかったのに、茶色の洗濯機買ってきたよね!」
やはり当たってしまった。


「あと、もう少しだ」
何が?だ。
母が死んでも呪縛は解けないかもしれない。

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