身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

母のお見舞い

昨日14時半に、夫と2人で母のお見舞いに行ってきた。
再手術前、モゾモゾ動いて「起こして起こして」の連発だったし、手指の色も悪かったので、長くないなと思っていた。手術しなくて良いと医師に言ったが
「今のままだと痛いので、人工股関節を抜きます」
と言われ、お願いしますと言わざるをえなかった。


私たちが行った時、体重測定をするとかで、車椅子に座る介助をされていた。
部屋の外で待っていた。
「朝はむせて食事ができませんでした」
と看護師。夫が畳み掛けるように
「点滴はしないんですか?」
と言う。
「今しています、リハビリに入ってもらっています」
ほどなくリハビリの人が来る。夫が
「リハビリって、何をやっているんですか?」
と聞く。イントネーションが強い。どんな内容かを問うより何のためにするのかを聞いているような言い方。
正直、夫の言い方にドン引きした。


夫はもともと温厚で優しい。今も私とみかんには優しく気を遣ってくれる。
だが、以前より余裕がなくなっているのは感じていた。
「やはり認知症の始まりか?」
と不安になった。
夫も金銭面で苦労した。嘘をついたと、私に何度強く責められたかしれない。
私が彼にストレスを与えた結果なんだろうと思った。禁煙も関係しているか?


まあ、母についてだが、部屋に案内される。
随分穏やかになり、一見せん妄がおさまっているように見えた。
だが首をまっすぐに保てない。
頭の重みで後ろにそりかえっている。
眠いのかぐったりしているのかわからないが、口を開けてすぐ眠ってしまう。
「ばあちゃん、来たよ、パパもいるよ」
声をかけると頭を起こし、目を開ける。
ほぼ聞こえないので、体をトントンとタップする。
「頭がね、後ろに行くの…」
「ばあちゃん、私誰?」
マスクを外して私の顔を指差す。やはり認識しない。会話の途中で頭を後ろにそって、目を瞑る。
「ばあちゃん、ばあちゃん」
「お手洗いはね、そこにあるの」
言うと、また眠る。
仕方がないので帰ることにして、手を振ってみた。 
手は、振り返してこなかった。


正直、夫じゃないが「なんのリハビリ?」である。
理学療法士
「関節の拘縮予防と、何でもない足で立てるように。言語療法士は嚥下訓練です。他に質問はありますか?」
「いや、無いです。よろしくお願いします」
そう言って、帰ってきた。うーん。
近々には亡くならないとは思うが…老衰だろう。
リハビリテーション病院ではなく、療養型病院にするか?
だが療養型に入ったら入ったで、胃ろうを作って栄養を入れられそうだ。
私は植物状態になって、栄養を入れられて生存だけしている状態にはしたくないが…私自身療養型病院で働いてきた。
病院によって考え方が違う。というか、弱小病院だと、胃ろうを作れる医師がいない。
それだと末梢から点滴で凌ぐ。血管が潰れて、毎日何度もぶすぶす針を刺すことになる。
中心静脈栄養なら生き延びるが、それすらできない病院がある。
私はどちらも働いたことがある。
そして、どちらの病院も考えものだ。


帰り道夫に
「あんた、何だってあんなにリハビリの人や看護師に怒ったような聞き方するの?」
と聞くが
「そんな言い方はしていない」
である。
ずっと、私が夫より先に死にたいと思ってきた。虚弱な私が残るより、夫だと一人で何でもできるだろうと思っていたからだ。
だが、あんな態度を見たら、私が先に死んだら認知症になりそうだ。みかんが困る。
夫の年金だとサ高住には問題なく入れるだろうが、中途半端に「要介護2」だったらどうするのか?
まあ、認知症ならグループホームだろうか。
どちらにせよ、まだ私は死ねないと思った。
身体が使い物にならなくても、脳みそを動かして対応を考えられる。
みかんが働きながらケアマネを探して、施設を探して…知識も時間も労力も無いので、大変だと思う。
エンディングノートに書く項目が新たにできた。


いや、まずは母だ。
タイムリミットは15〜16日。
今日、サポートセンターに相談してみよう。

×

非ログインユーザーとして返信する