身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

落ち

昨日、母のお見舞いに行った。
杖をついて病棟に着いた時、息切れがまあまあ続いた。
私はマスクに「喘息シール」を貼っている。
杖をついて喘息だと、同情される。
医師の説明の時、看護師が車椅子を持ってきて、それに乗って外来まで連れて行ってもらった。
だから家族がいない時にお見舞いに行けなくなった。
忙しい看護師の負担になる。


今朝みかんが
「そうは言っても何かあったら薬局に電話ちょうだい。仮にも長い間一緒に暮らしていたんだから」
と言った。夫に
「今日忙しいんでしょ?斎場に搬送されてから知らせればいい?」
と聞いたら
「馬鹿な!危篤の時点で電話してよ」
と言った。
二人とも冷静なようで、それぞれの思い出はあるんだな、と思った。


私は、もういい。
モゾモゾ苦しそうに動き、意味不明の言葉を発する母を見舞う気は無い。
唯一繋がった会話が
「起きてどこ行くの?じいちゃんのところかい?」「うん」
これだけ。
「じいちゃんはいつまでも待ってくれているから、急がなくていいから」
と声をかけて終わった。


冷たい娘かもしれない。
ようやく母の呪縛から解放される日がくる、と思うと、これまでの人生がぐるぐる頭の中を巡る。
憎いか憎くないかで言ったら「憎い」
好きか嫌いかで言ったら「好き」


看護師にサ高住で転んで連絡をよこさなかった件を言ったら、大層驚いていた。
こんな大怪我をしているのに、と。
みかんと同年代の看護師か。
まだ親の介護を考えなくても良い年代だ。


私は直接的介護をしなくて済んだ。
母の年金がまあまあ多かったから施設に入れられた。
世の中には施設に入れられない人たちが多くいる。
当然介護をしなければいけない。
父も母も生きていて、二人とも介護が必要となったら、施設に入れられなかった。


父の時は泣いた。70代ということも手伝った。
だが母の時は泣かないと思う。
憎いとか以前に高齢だ。寿命をまっとうした。


手術はかわいそうだと思う。できればしないで欲しい。
夫もみかんも
「仕方がない、転院はこっちが負担だ」
と言う。


歳を取れば取るほど、命の価値が薄れていくのだろう。
とはいえ、さすがに一人娘の私は複雑だ。
複雑と言ったらそれはもう本当に複雑で、思い出したくない過去を振り返り、苦しむ。


昨日は母をとても哀れだと思った。
だが、もうどうでもいい。
十分母に追従した。
死に行くものより、今生きている家族と自分の幸せの方が大切だ。


夫もみかんも、危篤なら呼んでと言った。
呼ばないかもしれない。
母は私が一人で看取りたい。
仕事から帰宅していたらその時連絡しようかと考えている。
だがわからない。
本当にわからない。

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