身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

想定外で最悪のパターン

医師、看護師、ケースワーカーを交えて、夫と2人で母の今後について話し合いをしてきた。
次の病院に転院して、2〜3ヶ月後に施設なり療養型なりに移す方向となった。
食事はムラがあるが、2割程度摂取。
末梢から点滴で水分を補っている状況。
CVを頼んだが、入れないと言われた。
理由はわずかでも食べられているからだそうだ。


最初の手術後、母はせん妄状態となり、私は数日中に亡くなると思った。
だが、2回の手術に耐え、生き延びた。
ナースが気を利かせてカンファレンスルームに母を連れてきたが、
「あーーーー、あーーーー」
とずっと唸っており、手をパタパタ動かしている。
頭は後ろに反り返っており、強い認知症になってしまった。
この前日曜日に見た時より悪化している。
というか、アレが本来の姿で、私たちがお見舞いに行っている時は半分眠っているから静かだったようだ。
ナースより
「昼夜逆転しています」
と言われた。


ナースには愛想笑いをしたものの、悲しかった。
あんな状態でリハビリなどしてほしくない。
点滴もいらない。


私が25年前に働いていた病院への転院が決まりそうである。
昇進したものの挫折して、逃げるように辞めた病院だ。
「できれば違う病院に…」
と言ってみたが、同じ系列の病院なので、このまま進めるとのこと。
まあ体型が変わったし、マスクもしているので、バレないかもしれない。
しれっとしておくとして…


1月の最初の手術前は、まともに話せた。
1回目の手術後は「起こして起こして」とハッキリ発語していた。
だが2回目の手術が終わって、病院サイドは頑張ってリハビリを続けてくれたのだろうが、認知症が進んだ。
母にはもう人格がない。


次の病院は医療保険で賄えそうだが、果たして特別養護老人ホームに入れるかが問題だ。
私は私で、病院内を歩くと腰とお尻の筋肉が痛くなる。
駐車場まで歩幅を少しずつ動かしながら歩いた。
私も廃用症候群である。
何から考えたら良いかわからず、振り出しに戻ってしまった。


医師に
「金銭的な問題で、年金でおさまる医療入院を希望したい」
と言うのは勇気がいった。
恥も外聞もないが、事実だから仕方がない。
そちらはケースワーカーが口を挟んできて、
「医療入院が可能なようにします」
と言ってもらえた。


縁を切った子供は、親が倒れたらどうしているのか?
子供が消息不明で行政が動くのだろうか?
それぞれの家庭の事情があり、私は母から逃げない道を選んだ。
半世紀以上苦しんだ。
母はおそらく私を全く愛していなかったわけではない。
親子の役割逆転が、私の幼児期から起きていたのだろう。
まだ幼児の私に依存した。投影した。
口癖は「美智子様(上皇后)みたいになりなさい」だった。
美智子様は押し入れで生活などしていない。社長令嬢である。
私は6畳と4畳半の2Kに住んでいた、貧乏人の娘だ。


なぜ、最後の最後まで、私を苦しめるのか。
仕方がないとはいえ、私が一番なってほしくない認知症になった。
あれじゃ要介護5がつくと思う。


もういい。昔から期待はしていない。
本当に、もういい。

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