身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

母の着地点

昨日母が入院している病院の医師から電話があった。


母には日曜日会っている。
リハビリ後で疲れているから車椅子に座って、ぼーっと前を向いていた。
ちゃんと開眼しているが、焦点が定まらない。
声がけにも反応しない。
手を握っても握り返してこない。


リハビリというものは、一生し続けるものではない。
目標値があって、そこに到達して状態が固定すると終了となる。


医師が言うには
「食事を食べる時は10割食べるんですが、むせ込みが多く誤嚥しています。誤嚥性肺炎を繰り返します。口から摂取する食事が限界になっています」
とのこと。


もうリハビリはいい。食事も自分でできなくてもいい。
だが胃ろうを増設しないと、引き取ってくれる施設はない。
リハビリテーション病院の対象とはならないと思うので、胃ろうを作って要介護認定の申請をして、要介護3以上なら、介護医療院が妥当だと昨夜考えた。
介護医療院も混んでいる。入れるかどうか。


私は近隣の老人系の病院関係は味見就職し尽くしているので、どこが良くて、どこが悪い病院か知っている。
あと、自分が退職した病院も気まずい。
介護医療院はここ数年でできた。
今まで療養型病院だったところが、ことごとく介護医療院になっている。


医師に聞いた。
「胃ろうをつくれば寿命は伸びるが、寝たきりの植物人間になる。母の人としての尊厳が無くなる。胃ろうなしで看取ってくれるところはないですか?」
「おっしゃる通りなんですが…難しいです」
「わかりました。患者サポートセンターと相談します」
と言って、電話を切った。


食事を取れない高齢者を引き取ってくれる施設などない。
尊厳も何もない。
胃ろうを作り、そこから栄養を注入し、無駄に生きながらえ、丸太のようにゴロゴロひっくり返されて、オムツ交換される。
四六時中ベッド上生活。
私はそう言う人を看護してきた。
その患者さんは、最初からそこにいた患者さんだ。そういう人としてしか見ない。
だから今まで何も考えなかった。
だがいざ身内がそうなるとどうか。
過去の元気な母を知っている娘としては、良い気持ちはしない。


「もう、胃ろう作ってもらおうよ。あちこち施設探し回るの大変だよ」
と夫。
夫は十分やってくれた。施設にせっせとオムツやお小遣いを運んでくれた。
サービス付き高齢者向け住宅は、丸投げできない。
体調に変化があれば、家族が病院に連れて行く。


結局胃ろうを作る方向に決めた。
あとは要介護認定の申請だ。
介護医療院は要介護3以上じゃないと、引き受けてくれない。
母は現時点で書類上は要介護1。
だが、どう安く見積もっても、要介護4だろう。


人生の終末期を自分で選べない。
がんになって、在宅で死にたいと言っても、急変時家族は大変だ。
特に私は手厚いがん保険に入っており、入院していればそれだけで1日2万円出る。
家にいれば、金も労力も家族は使うし、働きにも行けない。
私は本当は昨日の胃カメラで食道がんだと言われると思ったが、食道裂孔ヘルニアだった。
時々食べ物がつかえると思う。
だが引っ込む時もあるので、ずっと苦しいわけではないだろう。
原因は「加齢」だ。


朝一で患者サポートセンターに電話する。
そこの病院で胃ろうを作ってくれるのか。
要介護が決まるまで、病院にいさせてもらえるのか。


母は父の尊厳死をことごとく否定し、抗がん剤を最後まで入れられ、苦しみながら死なせた。
父は76歳まで現役で働き、77歳で亡くなった。
緩和ケア病棟に移そうにも母は反対した。
どれほど喧嘩したかしれない。


母は89歳まで生きた。
されるがままである。
何かしたいわけでもなく、言葉も発しない。


もういい。
病院で決めてくれ。
それこそ丸投げだが、家族の希望は通らない。
母の運命だ。
私の運命は母に握られ、母は父を苦しませて逝かせた。
今度は母の番だ。
死ぬまで生存してもらうより他ない。

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