身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

母の病状が悪化するまでの経過

昨日まで、だるくてたまらなかった。
微熱があったのでコロナの検査をしたが陰性。
みかんがコロナになった時、倦怠感がある状態ではコロナは陰性だった。
ブログを読み返したら、2月25日から微熱がある。
たしかその前後で胸の痛みを夜中に感じた。
自分の咳で飛び起き、咳するたびに「ここが気管支」とわかると書いたはずだが見当たらない。


ずーっと「いつから体調が悪かった?」と探し続けた。
斜め読みしていたのだが、連日母の記事。
入院したのは1月4日だが、2か月足らずで見事にどんどん悪化している様が書かれている。


ちょっと時系列に母の状態を書いてみる。


…………………


1月4日…骨折発覚、入院


1月14日…お見舞い、施設でどのように転んだか、母と普通に会話する。この時母は「施設に帰りたい」と言った。叔母とも会った。


1月15日…1回目の手術


1月16日…コロナに罹患


1月25日…リハビリテーション病院転院の話が出る


1月27日…手術後2回股関節脱臼、再手術の説明あり


1月29日…ベッドから転落、「◯◯ちゃ〜ん」と叫び始める


1月30日…私一人でタクシーでお見舞い、うわごとのように「起こして…起こして…」を繰り返す。一時もじっとせず、モゾモゾ動いている。
私の顔を見て手を伸ばし、髪の毛を引っ張る。
何も言葉は響かない、視点が合わない。私を認識しない。
医師から人工股関節を抜く手術をすると言われ「もうやめて欲しい」と言う。
せん妄が出ているので、死期が迫っていると思う。
手術の目的は、痛みを取るためだとのこと。


2月2日…2回目の手術で人工股関節を抜く。医師は検査データを見る限り、近々に死ぬとは思えないという。


2月5日…お見舞い。随分穏やかになり、一見せん妄がおさまっているように見えた。
だが首をまっすぐに保てない。頭の重みで後ろにそりかえっている。
眠いのかぐったりしているのかわからないが、口を開けてすぐ眠ってしまう。
「ばあちゃん、来たよ、パパもいるよ」声をかけると頭を起こし、目を開ける。
ほぼ聞こえないので、体をトントンとタップする。
「頭がね、後ろに行くの…」「ばあちゃん、私誰?」
マスクを外して私の顔を指差す。やはり認識しない。会話の途中で頭を後ろにそって、目を瞑る。
「ばあちゃん、ばあちゃん」「お手洗いはね、そこにあるの」言うと、また眠る。


2月11日…お見舞い。元気になっている。
「おいしい」「おしっこしたい」と言う。
「ばあちゃん、私誰?」耳元で大声で言うと「そうだねえ、わかった」と言葉を口にする。
看護師が「食事が一人でできるようになりました」と説明を受ける。
脱臼していたから痛くて表現できなくて、意味不明な言葉を口にし、モゾモゾ動いていたと考える。リハビリテーション病院への転院を検討。


2月18日…お見舞い。「ばあちゃん、ばあちゃん!」無反応。開眼しているが、目はどろんとして焦点が合っていない。
リハビリテーション病院の転院が無理に思えてきた。


2月19日…医師から電話あり。
「食事を食べる時は10割食べるんですが、むせ込みが多く誤嚥しています。誤嚥性肺炎を繰り返します。口から摂取する食事が限界になっています」
とのこと。


2月23日…お見舞い。「◯山さん、娘さんとお婿さんきたよ」「ばあちゃん、わかるかい」
目は半開き、頭は後ろに倒れたまま。ブドウ糖の点滴をされている。腕を見ると、アザだらけ。腕を揺らして「ばあちゃん、ばあちゃん」「…うーーー、うーーー」
呻吟が始まる。


2月24日…お見舞い。トイレに看護師2人介助で時間誘導とのこと。
「腕に血管、ありますか?」「もう限界ですね」
「27日、ドクターにCV入れてもらうように頼みます」
少しは食べられているので、中心静脈栄養まで求めないにしろ、ブドウ糖の点滴をしている。


2月27日…医師、看護師、ケースワーカーを交えて、夫と2人で母の今後について話し合い。
次の病院に転院して、2〜3ヶ月後に施設なり療養型なりに移す方向となった。
食事はムラがあるが、2割程度摂取。
末梢から点滴で水分を補っている状況。CVを頼んだが、入れないと言われた。
理由はわずかでも食べられているからだそうだ。
ナースがカンファレンスルームに母を連れてきたが、
「あーーーー、あーーーー」
とずっと唸っており、手をパタパタ動かしている。
頭は後ろに反り返っており、強い認知症になってしまった。


2月28日…医師から電話。前日、母についての相談で「食べられるので、何もしない」と医師は言ったのに「2割も食べていないので、経管栄養する」とのこと。


…………………


1月15日に手術後脱臼。痛みのせいかせん妄が始まる。コロナに罹患、ベッドから転落。
発語はあるが意味不明、ずっと体をジタバタさせ、私は死期が近いと思い、葬儀の準備を始める。
2月2日、2回目の手術。せん妄が消失。発語も意味不明。頭をそり返らせ、まっすぐ保てなくなる。2月中旬以降食事摂取量激減、誤嚥し発熱する。末梢から点滴で水分補給も、両腕は紫で血管が潰れている。その後「うーーうーー」と呻吟が始まる。医師に中心静脈栄養か胃ろうを依頼も「まだ口から食べられるので」と言われる。
2月28日、経管栄養開始。


手術後コロナと患部の痛みが原因なのか、ここから認知症が進み始めた。
ここまでで状態がどんどん変わっている。
次の病院に行ったとて、寿命が保つかどうかわからない。
鼻から管を入れたので飲食できないから、嚥下機能が落ちると思われる。


人の寿命はわからないが、元気だった母を考えると、別人だ。状態が急激に悪化している。
希望は「何もしない」
胃ろうも作らないで、経管栄養だけで、対処は終わりになればいいと思っている。

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