身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

他人に期待しない

※ 1時頃


昨日は新たな気づきがあり、先輩の後押しもあり、久しぶりに強い幸せを感じた。
テンションも上がった。


知恵袋で関わった人に、色々と思いを吐露した。
逆効果だった。
「人の心にズカズカ入り込んできて怖い」
と言われた。
私は自分のことしか書いていないから、私の体験談で同じことがあったのかもしれない。
それが呼水となって、「ウツカテは精神障害者特有の歪み」だとか、「メタンガスが溜まっている」だとか、それこそ精神障害者を侮蔑した。


私は苦しくなった。
変わって欲しいとは思わないけれど、差別発言にショックを受けた。
今中途覚醒中だけれど、寝て起きても苦しい。
病的な苦しさではない。
胸が痛い。


分かり得ない人はいるのだと思った。
もう放置で行く。


…………………


※ 4時20分


考えてみれば、SNS上で人に罵詈雑言浴びせて自殺に追い込む人もいる。
「絶対の悪人などいない」「ゆっくり話し合えばわかる」
私の脳内がお花畑だった。


もう昨日は昨日だ。
この件はコレで終わり。
人を見分けるのは下手だけれど、おかしな人に興味本位で近づくのはやめようと思う。


私は何かやりたい。
体調はぐんぐん良くなって、買い物に行けなかったから、夫にバラの土を買ってきてもらい、手伝ってもらいながらシャーウッドを植木鉢におさめて、液体肥料入りの水をたっぷり与えた。
他の2苗は、一応簡易的な植木鉢に入っているし、ガブリエルは土と元肥を調整してもらっているので、一番花が終わったら植え替える。


一番したいことは「仕事」
貧乏くさいけれど、食べたいときに果物や刺身を食べたい。
出かけなくても、気晴らしに服を買いたい。
高価なものじゃなくて、ニッセンの数千円のを何着か、お財布を気にせず買えるようになりたい。
在宅ワークに受かってくれれば、頑張って仕事を覚える。
美容室へ行く頻度を増やしたい。


また落ちるかもしれない。
でもアテはある。
週5の通所になるけれど、一からプログラミングを教えてくれるところがある。
そこはA型事業所。
本当は在宅ワークで週30時間働きたいけれど、落ちても落ち込まないように前向きに捉えて。
通所になれば、買った服も生きるというもの。
通所そのものが歩行練習になるし、公共の交通機関を乗る練習になるし、居場所にもなり得る。
そうだ、外に居場所を作るのも悪くない。
ただ、感染しそうだな。💦
これは逃れられない。諦めるしかない。


今年は桜を見に行きたい。
昨日の気温は29.5度。
満開だと思う。
散る前に、早く!


文章は読んで書いて、読んで書いて。
母が亡くなったら、いよいよ本格的な長編を書きたい。
母が亡くなるとき、私は何を思うかを知らなければ、クライマックスが作れない。
あ、つねったりしません。
そういう発想になるのは、やはり病んでいる時が多い。
予想は「終わったと思う」もしくは「無感情」
ただ、もう母は要介護5で何もできないので、既に終わった人。
困った人だったけれど、楽に逝かせてやりたい。


結局お金のかからないことばかり望んでいる。
ディズニーランドに行きたいけれど、歩けないしね。
5月ゴールデンウィークが終わって早々に、夫は知床方面に出張に行く予定。
知床、行きたいなぁ。


…………………


※ 7時


夫やみかんとは「共依存」だと書いた。
だが、よく考えてみる。
2人とも、私に別に何も言わずに好きなところへ行っている。
夫は行きたくないところは行かないと絶対に譲らなかった。
みかんは家に入れるお金5万円と、奨学金以外は全部お小遣い。
そして毎月私に前触れもなく「東京に行く」と言って、あちこち出かける。
それこそ自由に。


私は心の底で嫉妬して恨んでいた。
「皆んな私を置いていく、好きなところへ行く」と。
つまり「共依存」は全くないわけではないが、私が夫とみかんに「依存」していた。
私も行きたい、出かけたい、ディズニーランドに行きたい、知床に行きたい…
それを無理やり押し込めた。
病気だから、歩けないから行けない、と。


夢を見た。
カラオケに行こうとした。
母が「パパが帰ってくるまで待ちなさい」と言った。
言うとおりにした。
夫は会社の人と飲み会に行って、深夜に帰宅した。
私はとても腹が立って、ベッド脇に置いてあるぬいぐるみを壁に投げつけた。


少し前に目が覚めた。
母を探した。いない、なぜ?
「ああ、もうばあちゃんはいないんだ」
安堵より悲しさが勝った。
まだか、まだなのか、母はいつまで私におんぶする?


多分、まだ治らない。
時間がかかる。
母はいない。本当にいない。大丈夫だから、大丈夫だから。


夫が起きた。
「桜見に行きたい、ジェラード食べに行きたい」
「いいね、行こう。そうだよ、少し外に出なきゃ。散歩してみよう」
桜がたくさん植っている公園がある。
結構広い。
義務の散歩ではなく、桜を見る散歩。
行く。歩けなくても行く。
もう風邪は治った。


桜を見る散歩が終わったら、美味しいジェラードが売っている店に行く。
母のところへは行きたくない。だから行かない。シャツの替えはまだあるはずだ。


叔母のところは、今週中に行く。買い出しがある
今までは夫任せだったが、なるべく私も行く。
パンフレットを作るのは大変だが、それは私自身が安心したいから、せめて要介護認定の申請だけでもしておいて、いざ必要になった時、すぐ介護サービスを導入できるようにしたいから。
正直吸いたきゃ、タバコを吸えば良い。
食べたきゃ筋子でもたらこでも食べたらいいと思う。
要介護認定は、受けておかないと、後々私に面倒ごとが被ってくるからしたいのだ。
叔母は7月で79歳。
美味しく至福の一服を楽しむのは、寿命が延びることより幸せなことだと思えてきた。
叔母も楽に逝けたらいいと思う。


動こう。歩こう。
家にいてもいいから、外にも出よう。
みかんを羨ましく思うのはやめよう。
働く。お金を稼ぐ。そのお金でディズニーランドに行こう。
母はいつ亡くなるかわからない。
明日かもしれないし、来年かもしれない。
近々の計画は、母のことがあるから、それは無理だ。
ロックフェスにも行きたかったが、これもやめておく。
途中で死なれたらお金がもったいない。


ディズニーランドに行くために歩いて働こう。
在宅ではなく、中心街のA型事業所でも良いと思えてきた。
義務の散歩ではなく、目的のある歩行。
バスと地下鉄で行く。


ちょっと考えてみる。

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