身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

気を揉むことを手放す

私の世の中には、自分と他人と中間がいて。
中間は母とみかん。血が繋がっているから。
あとは他人なのだが、夫は微妙な立ち位置。
どの本を読んでも「共依存」が頭を横切る。


リアルでまったく接点のない他人に尽くす必要などない。
私はいったい何をやっているのかと思う。
それでも手放せない理由はなんだろう。


母は手放せた。やっとである。
「うーーー」しか言わなくなった母は、生存しているが「死に体」だ。


最近、日中の誰もいない時間がありがたい。
心がほぐれてのびのびする。
夫にもみかんにも気を使う…というより、先回りしては心配の種を拾い集めていたのだろう。


誰よりも気を遣った母は、もういない。
地上のどこにもいない。
もう本当に、本当に、気を遣わなくていい。嘘に振り回されなくていい。


母がサービス付き高齢者向け住宅に入っていても、不安があった。
夫は随分防波堤になってはくれたが、母のついた数多の偽りが親戚の話から見えてくる。
それが辛かった。
親戚の揉め事に幼少期から私だけ同席させられた。
だから、母の母の名義の家についてのトラブルは、私が一番知っていると親戚から思われているし、実際そうだ。
母もサ高住に入る前まで
「あんたが動くんだ」
と言ってきた。
私は母の姓を名乗っていない。
そんなことはもう母は言えない。
やっと解放されたのだ。


病院から電話が来なくなった。
お見舞いも2週に一度にした。
行っても5分。
状態観察に行くだけだ。
まだ大丈夫そうに思える。


ただ、母に使っていた気を、実はみかんにも夫にもやっていたと最近知った。
2週間前から体調を崩し、肺炎と言われたみかんに、上司は出勤しろと言った。
カァーッとなった。上司に電話せんばかりの勢いだった。
だが、人に指摘されてハッとする。
みかんは子供ではない。
いや、みかんでなくとも、夫にも気を回している。
第二の職場に口を出す。


自分のことで精一杯なのに、勝手に自らのコップの水を溢れさせては、苦しい苦しいともがいていた。


もう、いい。手放そう。
「私」のことだけ考えよう。


知恵袋の友人にしても、絶対に自分が毎回回答しなくて良い。
でないと、もたない。
指摘される必要のないことまで指摘される。


私は半世紀、テリトリーを侵害され続けた。
そこに、指摘された「他人との境界が曖昧」という原因があると思う。


昨日知恵袋でやりとりした相手は、私のテリトリーに入り込み、ナイフを刺して行った。
苦しかった。胸が痛かった。


私は私を守って良い。
他人を放っておいて良い。


身体状況については、感染しやすいし骨折しやすい。
外で働けない。
コロナの恩恵であるリモートワークで身を立ててみよう。


今は家族以外の他人と接触するのは嫌だ。
「嫌なこと」をしなくて良いのだ。
ネットでしばらく人間関係を完結させたい。


近いうちに葬儀があるかもしれない。
親戚が集まれば、50年前に死んだ祖母の家の名義の話になる。
知っていることは協力する。
私は動かない。知らない。


みかんは一昨日患者さんに怒鳴られたと言って泣いて帰ってきた。
それ以上何も聞かなかった。
朝も不機嫌に出勤した。
ところが夜には普通に帰宅した。


私は不要だ。
そんなことに存在価値を見出さない。最初からそのつもりはない。
でも長年の癖で、首を突っ込んでいるらしい。
それも手放そう。
方法はおいおい見つける。
何が参考になるかわからない。


とりあえずは自分のことに必死になりたい。

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