身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

紛れもなく精神疾患であり

今は眠って起きたばかりだから感情がフラットである。


うつ病と診断がつく前後からの約2年間、とても苦しかった。
寝ても覚めても苦しい。
なんと例えてよいかわからないが、あえて言うなら大きな岩が胸に乗っているような感じか。
どんな薬を飲んでも効果がなく、寝たきりになってしまった。


寝たきりと言っても四六時中眠っているわけではない。
目覚めている時もある。
目が覚めたら起きて何かしようと言う気力はなく、横になって、ただ時計の針を眺めていた。


そういった急性期がおさまってきたら、パチンコに行くようになった。
憎いはずのパチンコにハマり、パチンコ依存症になってしまった。
朝になるとソワソワして、パチンコに行きたくてたまらない。
夫にお金を随分せびった。
パチンコをすると脳にドーパミンが過剰分泌するから、心が楽になる。
「私は長い間、つらい思いをした。今遊んだっていいんだ」
そう自分に言い訳した。


何度も試みては失敗したが、夫婦でなんとか依存症を克服した。
だが、代償に家を失った。
家は私が頑張って働いた、目に見える証だった。
私の城だ。
引っ越さねばいけない時、惨めだった。悲しかった。
その頃には私は一つの職場が長く続かず、転職を繰り返した。
どうやってもフルタイムは無理だった。
うつ病を発症してから一番長く続いたフルタイムは1年半。
この時、当直明けで寝ないでパチンコに行ったりしていた。
脳みそを随分酷使した。
うつ病も治らないというものだろう。


約15年前からYahoo!知恵袋のうつカテゴリを見始めた。
イタズラにうつ病に苦しんでいる人に意地悪な言葉を投げかける「荒らし」という輩たちが随分いた。
そのような奴らと喧嘩ばかりしていた。
働いていない時は、知恵袋か、パチンコをした。
宝物の家に居場所はなかった。
母の家だった。
料理をすれば怒る。
冷蔵庫の傷んだものを捨てると激怒する。
母は私の城内をめちゃくちゃに使っていた。


何度も私を裏切った人たちを許そうとした。
だが許せば、また裏切られる。
娘以外敵だった。


ときどきやたら攻撃的になったり、笑いが止まらなくなる日が出てきた。
それは今もそうだ。
亡くなった主治医は「双極性障害に移行したかもしれない」と言い、薬を処方してくれた。
優しい医師だった。
信頼していた医師は、一昨年の夏に亡くなってしまった。
以後、助っ人医師が主治医になるが、怒りっぽい人だ。


15年以上前からブログを書いては辞めてきた。
たいてい炎上して終わる。
あまりにも馬鹿正直に自分を出しすぎるのだ。
正の感情も負の感情もあけすけに書く。
読み手は負の感情の方がインパクトがあるのだろう。


ある時のブログのタイトルは「ほんとにうつ病?」だった。
精神疾患ではないと疑心暗鬼だった。
苦しいには違いない。
けれどパチンコには行けている。
働けないだけだ。
ただのパチンコ依存症だと思ったが、薬を切るともがき苦しむから…よくわからない。


パチンコは6年前に辞めた。
よく辞められたと思うが、辞めなければ自死を選ぶしかなかったと思う。
パチンコをしない苦しみから解放されたはずなのに、また苦しくなった。
新しい家は、存外みかんが気に入ってくれた。
駅に近いからだ。
それだけは救いだった。


今。うつ病初期の苦しさはないが、しんどい時が多い。
特に病気と怪我が重なったこの半年。
加えて加齢。
将来を悲観している。


昨夜も夫が帰ってきた時落ち込んでいた。
夫に「辛い」と言った。
夫は
「あんたに苦労かけて申し訳ない」
と言った。
「違う、病気ばかりするから…」
返答はしたが、私が落ち込むことは、夫への攻撃を表すことになる。
今までずっと、落ち込んでは夫を責めてきたから。
夫はもう60歳で、心が弱ってしまった。
叔母や母の対応をしてもらっているし、虚弱な私の病院の送迎もしてくれている。
感謝している。
もう許さなければいけない。


「一緒に映画『生きる』を観てほしい」
夫に頼んだ。
快諾してくれたから、土曜日一緒に観ようと思う。


自分で病んでいると思う。
精神的にも身体的にも働けない。
うつ病か、双極性障害かなど、どちらでも良い。
吐口が欲しい。

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