身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

何も考えないことは無理

1時過ぎに目覚めて、ギリギリと歯を食いしばりながら身体を起こして、立ち上がった。
立って背筋を伸ばせば、まあまあ歩いて移動は可能。

とりあえずトイレを済ませて坐薬を挿した。
ちなみに母の使わなくなった「杖」が、今の大切な相棒。
一応4800円くらいの、手すりをAmazonで買った。
ベッドに固定するタイプで2本足がついており、つかまり立ちをサポートしてくれる。
到着予定日は15日。


昨日「何も考えないようにする」と書いた。
無理だ。そんなことできない。
「人間は考える葦である」パスカルの言葉。
中学生の社会科で習ったと記憶する。高校だったろうか?
今さら記憶の引き出しが開いた。
「人間は葦のようにか弱い存在だが、考えることができる。考えることこそ人間に与えられた偉大な力」
と検索で引っかかった。
つまり「人間から考えることを取り除けない」という結論に至った。

そういうことだから、頭の中を空っぽにするのは逆に苦痛だ。
それこそ「坐禅を組んで雑念をはらう」くらい修行しなければ、できないのではないか。
「無心」より「考える」方が楽なら、そうしようと思う。

今日13時5分から、NHKで黒澤明監督の「生きる」を放送するとのこと。
「生きると生存するは違う」と私に認識させた映画。
観たい。観たいが、娘のみかんが休みである以上、観ることができない。
昨年末、みかんがリビングのテレビを買い替えてくれた。親孝行のためではない。
単純に、みかんが「50インチの綺麗な画像でテレビを観たいから」に他ならない。
私は家族がいる時しかテレビを観ないから不自由を感じなかったが、昨夜ニュースの後、大河ドラマが始まり、とても観たかった。
だが、歌番組を観た。チャンネル権を持つのは、みかん、次に夫。
2対1で「鬼連チャン」にチャンネルが変わった。


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記事を下書き保存しようとしたらできず、ページを切り替えてハッとした。
iPhoneの充電が切れた。
それで記事が消えた。上記の倍、書いていた。


家にも当然ルーターはあるが、私は喘息の重積発作で入院していた時、iPhoneを媒体にして、iPadでネットを見ていた。
当時、叔父が亡くなり、葬儀関連のリモート作業を病院のベッドの上でしたところ、Wi-Fiの容量が残り少なくなったので、買い足した。1GB1100円。それを3GB買った。高い。
それでケータイのプランを「容量無制限」のコースに切り替えた。
この後も入院しているので助かったが、単純に電話代が上がった。
だから、家のルーターからWi-Fiを使わずにiPhone経由でネットを見て微々たる節約をしている。
また入院するかもしれないし、病院の待ち時間にiPadを見たいので、元に戻していない。


結構「考える」ことについて書いたが、消えてしまった記事はどうしようもない。
テーマにそぐわない内容になった。
大河ドラマや見逃したNHKのものを観たいので、NHKプラスかオンデマンドに入会するかどうかで迷っている、というところまで書いた。


何か書きたくなったら、ブログを更新する。

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