身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

痛みを受け入れるのか、闘うのか

整形外科受診。
MRIの結果「第三腰椎圧迫骨折」と確定診断がついた。
他に、あちこちヘルニアが見られた。


コルセットができたので、装着してもらう。
痛みが緩和するかと思ったら、そうでもなかった。
診察時、医師に
「痛みが取れるまで1ヶ月かかるから」
と言われた。
それと、椎間板ヘルニアが神経を圧迫していると。
次回受診は2週間後。その時足の指の骨折も診ると言う。
ボルタレン坐薬は14個しかでなかった。
1日1個。


骨折した2日後だったか。
あまりにも痛くて、半年に3回も骨折して、喘息の重積発作を起こして、声をあげて泣いてしまった。
夫は
「まあ、泣きたくもなるよね」
と言った。


骨折直後から2〜3日が痛みのピークだったように思う。
トイレに行くことすら重労働だった。
身体に負荷がかかれば、喘息発作が起きた。
夜間咳をすれば痛くて飛び起きるから、咳止めばかり飲んだ。
咳止めのせいで便秘をした。
今日までの辛抱だと思っていた。
コルセットさえ装着すれば、痛みが消えると期待した。


苦しくなるから見ないようにしているが、家族が帰ってくればテレビをつける。
ニュースやワイドショーでは、震災を取り上げる。
ネットですら、被災者の訴えが載る。
どうしても見聞きしてしまう。
感情が揺さぶられる。


坐薬が1日1個しか使えないなら、セレコックスと併用しなければ厳しい。
コルセットをしてもこの痛みならば、いっそ手術をしてほしい。
2週間後は1月26日か。
それまで坐薬が持たないなら、22日か24日に受診しよう。
火曜日と木曜日は予約の人しか受け付けてくれない。


自分はもうどうして良いかわからない。
病気や怪我を受け入れて、うまく付き合っていこうと決めたから、ブログのタイトルを
「身体と心の声を聞きながら暮らす」
にした。
それはあくまで「予防」の意味が大意であって、あまりにも痛かったり苦しいと、自我が保てない。


だが。被災している方を考える。
火傷を負った、5歳の子が入院できずに亡くなった。
下着の替えがない。
せっかく避難しても、持病のある方が亡くなっている。
想像するに、透析していた人は大丈夫だろうかと思う。
家の中でも外套を着てストーブの周りをぐるり囲む人々。
トイレがない。
お風呂に入れない。
プライバシーもない。


比較する。
私はQOL(生活の質)は保たれている。
骨が軋んでも、ゼイゼイしても、咳が止まらなくても、暖かい部屋でゆっくりできる。
だから辛いと思ってはいけない。痛いと言ってはいけない。
そう考えると、悲しくなる。


時を待とう。
眠ろう。
睡眠薬の力を借りることを許して欲しい。
申し訳ない。

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