身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

不幸であることが幸せ

4時に目覚めた。
夜間に書いたブログを見たら、支離滅裂なところがあり、今修正した。


夜間何があったか大体覚えている。
記憶のあるうちにブログを走り書きしたのも手伝った。
だが、夫に何を言ったかまで覚えていないのだ。
夫が怒ったのだけは覚えている。


ブログを読んだら、どうせ見捨てるんだろうみたいなことを言った。


【修正】


これからどうしていけば良いのか。


今、夫がトイレに起きた。
夜間のことを話した。
「夢だから仕方がないよ」
と言った。
気にしていないはずはないが、気にしていないふりをしている。
さっさと眠ってしまった。


自分の中では、病気ばかりすることは、あまり問題視していない。
病気の時は苦しい。だが数日で元に戻る。
胆石だろうが急性虫垂炎だろうが、手術すれば治る。
だが子供の頃に受けた面前DVや、母が私を下げて恥ずかしい思いをさせて悦にいること、人形扱いしたことは一生忘れない。


カウンセラーさんに言われた。
「お母さんは、あなたが苦しむことを、わざと言っているように見受けられます」
一度退会したブログに書いたが、小学校一年生の時、父が犬をもらってきた。
北海道犬の子犬だ。
私はとても喜んで「カル」と名付けて大層可愛がった。
ところが引っ越すから犬は連れていけないと母が言った。
よその家に飼ってもらうと言う話で、ずいぶん泣いて別れた。
母が脳梗塞を起こす前、つまり私が52〜53歳の時、犬の話になった。
私とみかんはゴーリデンレトリバーの、のびの話をしていた。
そこへ母が割って入った。
「カルは本当は保健所で処分してもらった」


52歳だろうが53歳だろうが、私の心は引き裂かれた。
しばらくやりきれない思いが続いて苦しんだ。
なぜ45年前の話を今更するのか?
私を下げたいのか?苦しむ様を見たいのか?
それで何を得られると言うのだ。
墓場まで持っていってほしい話だった。
そこでカウンセラーさんに言われたのだ。
「あなたが苦しむとお母さんは喜ぶ」と。


前向きに生きようとすると、心の中の私が止めようとする。
「なんでも前向き前向きと声高に叫ぶ人ほど不幸な人だ」
「前向き」と言う言葉を鼻で笑っている自分がいる。


苦しい。


「自分は不幸だと思わない」
多分それは嘘だ。
本音は「不幸」だと思っている。
少なくとも「幸せ」とは思っていない。
ただ「自分は不幸であることが幸せ」という、複雑な感情がある。
自分でもよくわからないが、心を守っている気がする。


【修正】


おそらく、病気になっても苦しみから逃れたら何も思わないのは
「病気である自分が嬉しい」
これだ。
不幸もまた然り。
つまり私は「ミュンヒハウゼン症候群」だと思う。

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