身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

生きるための知識

老後を娘のみかんに手伝ってもらおうとは、考えたことはなかった。
私の両親は父が生活能力があるギリギリまで我が家で暮らし、癌であっという間に亡くなった。
母はどうか。
軽い脳梗塞になり、要介護1がついた。
これが曲者だった。


軽い介助と家事の提供が必要。
意思疎通がとれ、いつまでもわたしたちと暮らせると思っていたのだろう。
母は、まったく悪気がなかった。
私が苦しんでいたことを知らない。


今日母のお見舞いに行く予定だが、果たして母の状態はどうなっているのか。
もう今今死ぬという状態ではなくなったのか。
それともじわじわと身体状況が悪化しているのか。
毎週5分程度のお見舞いに行くのは、母の状態観察のために他ならない。


骨折して1回目の手術後、せん妄が出た時は、もうダメだと思った。
だが2回目の手術後せん妄は消えた。
代わりに認知症が悪化した。
1月4日まで、大きな声だと会話できた母は、別人になった。
人形のように車椅子に座らせても動かず、夜間は「あーーー」と叫んでモゾモゾ動いているようだ。


ここまでくると、何をされても何も言わない。
今いる病院は、リハビリテーション病院への転院を勧め、ワンクッション置いてから施設の方向へ持っていくように言われる。
その意味がわからず、長期療養型病院へ転院させたいと言うが、もう2カ所の病院のどちらかで話を進めているからとしか言わない。
これは追求しなかった。
母は身体障害者1級なので、医療費がタダ。
私は医療保険で賄えるなら、どこでもいい。


母はいつどのように亡くなるのか、先行きが立たなくなっている。
徐々に悪化して、数ヶ月以内に死ぬのか、低空飛行で生き延びるのか。
生き延びるなら、特別養護老人ホームを申し込み、待機させたい。


せん妄が起きた時こそ「母は死ぬのか」と複雑な心境になった。
だが今は、何も感じなくなった。
病院なり施設のお膳立てはするが、生きようが死のうが、感情的になることは無くなった。


昨日、一昨日と、みかんが情緒不安定で、昨日の朝も泣いて「行ってくる」の一言もなしに出勤した。
夫は憤慨していた。なぜあんなにわがままなのかと。
夫はやはり仕事か私優先だから、みかんとの関わりは希薄だ。
間に常に私が介入していたのも要因の一つだろう。
昨日の朝は、みかんに振り回される生活は疲れると、夫婦ともども思ったが、みかんには借りがある。いきなり
「離れて暮らそう」
など言えないし、みかんは見捨てられたと思うだろう。


みかんはわがままだが、私を大層心配して、手伝ってくれる。
みかんがいたからできた対処がたくさんある。
みかんが一人暮らしを望むなら「どうぞどうぞ」だが、おそらく本人は望まない。
家に5万円入れれば、生活ができる。
そんな好条件なことはない。


我々夫婦は、これから貯金しようとしている。
つまり今先立つものが何もない。
私たちが何歳まで生きるかなどわからない。
私は病気だらけだが、うまくコントロールつけながら何十年も生きるかもしれない。
夫は60歳になり、年金の繰上げ受給が可能な年齢になった。
夫だって、いつ何があるかわからない。
誰だってそうだ。若くたって不幸は突然やってくる。
その時金がなければ、容赦なく現実を突きつけられる。
結局、みかんに助けてもらうことが出てくる。


私一人の将来のシミュレーションだけではない。
夫婦ともどもの老いを考えたら、途端にパターンが増える。
先行きの想定が不透明だ。


夫婦二人でなんとか生きていく方法を考えてみるが、想像できない。
基本、二人とも生きていれば、可能な限り働くつもりだ。


私たちのどちらかがころっと死んで、どちらかが残って長生きすれば、年金でなんとかなる。
だが、二人とも認知症にならない保証はない。
夫婦で、従来型個室多床室の特養に入るならなんとかなるかもしれない。
でも黙って役所や病院の言いなりになっていたら、お金がものを言う。


YouTubeで「貧困老人」の生活の実態をよく見ている。
年金が月3万円!?の人がいる。
ろうそくと1日一食の食事で暮らしている。家賃はわからない。


何十年か前、独身の息子と軽い認知症で体が不自由な親子がボロボロのアパートに住んでいた。
母親は一人にして置けない状況で、息子は退職を余儀なくされ、貯金を切り崩して暮らしていたが、いよいよ何もなくなった。
息子は生活保護の申請を何度も試みるが、返事は「頑張って働いてください」だった。
息子は追い詰められて、心中を決意した。
アパートにあるものを整理して退去した日、わずかなお金で母親を車椅子に乗せて、繁華街を散歩したりとちょっとした観光をした。
その後人気のないところへ行き
「もう生きていけないんだ」
と母親に告げた。母親は
「そうか、もうあかんか」
と言った。息子は泣きながら母親の首を絞めて殺害した。その後自決しようとしたが、どうしてもできず、警察に自首した。


裁判で、男性は執行猶予がついた軽微な判決となった。
裁判長は
「男性個人の問題ではない。社会で取り組むべき課題だ。役所の担当者も肝に銘じよ」
そんなような事を言ったとテレビで見た事を記憶している。
介護保険が始まる前だったはず。


老後になんとかなるのはお金のある家だ。
私たちも持ち家を手放さなければこんなに不安に思わなくて済んだ。
だが母が認知症で全介助になった今、老後を考える時が来た。
自治体に力がなければ生活保護はおいそれと受けられない。
まして私たちには資格職を持ったみかんがいる。
みかんが消息不明にでもならない限り、生活保護は受けられない。


世の人々は、NISAに飛びついている。
皆不安なのだろう。
だがNISAに投資できない家庭はどうする?


うちはNISAもIDECOもしない。
生命保険でやっていく。
夫婦どちらかが今死ねば、保険金が出る。
これは解約できない。
もし今全部解約したとして、ある日夫が癌になったとする。
長い間の治療はしないにせよ、最初は病院にかかり、入院してから今後を考えるだろう。
だが、我が家にはその金すら無いのだ。
元フジテレビアナウンサーの笠井さんが癌になった時、フリーに転身した直後で、個室代だけで400万円かかったそうだ。
助けになったのは「がん保険」と言っていた。


頭が老化しないうちに、考えなければならないことが山ほどある。
無知だと老いた時生活できない。
夫と心中するつもりはない。

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