身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

悔恨

母がサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に入居して約3年。
今月22日で89歳になった。
私が土下座して、泣きながら「離れて暮らしてください」と言ったのは4年前。
強引に叔母の家に置いてきた。
サ高住が見つかるまでのわずかな期間のつもりだった。


胆石の保存的治療(点滴)をしていたが、良くならず手術して胆嚢を除去した。
病院に連れて行ったのも迎えに行ったのも私だ。
胆嚢の手術のためCTを撮ったら、乳がんが見つかった。
触れてみたら、鶏卵大のしこりがあった。
数ヶ月待って手術をして、叔母の家に戻った。


ずっと週一で入浴介助に行っていたが、私の精神状態が悪く、行けなくなった。
そこで介護サービスに入ってもらった。
時を同じくして夫の件が発覚。
私は精神病院に入院した。


退院後、母の乳がん手術が終わった。
医師の説明により「リンパに転移していても取らない」と言われた。
腕に痛みが残るとのこと。
年齢を考え了承した。
手術では初めからリンパに転移が無いか確認をしなかった。
4年経った今も症状が無いから、転移していなかったのだろう。


母のサ高住への入居が決まり、引っ越しをした。
新品の家具を買い、部屋の設置も考えた。
引越し当日、荷物整理をした後、最初で最後の担当者会議に参加した。
デイサービスを週2でつけた。


母が入居した後、私は寝たきりになった。
カウンセリングを2年受けた。
母から精神的虐待やネグレクトをされていたと言われた。
身体的虐待は、ストーブに手を押し付けられ火傷したこと、幼少期から外出禁止、食事が1日1回くらいか。
寝たきりから起きて料理と洗濯ができるようになった。


施設入居後、私は何も関わらなかった。
オムツなど生活用品やお小遣いを届けるのは夫がしてくれた。
去年の10月までは、電話で会話ができた。
しかし耳が遠くなる一方だった。


今月4日、ペースメーカーチェックで受診のため、夫と迎えに行ったら、車椅子で降りてきた。
「昨日転んだんですよ。立てなくなりました」
「何時頃ですか?」
「夜です」
それ以上聞かなかった。
転んだ時点で連絡して欲しかった。
それなら介護タクシーを使った。
結局、足をとても痛がるので、車椅子とベッドや自動車の移乗介助は私がした。
あと1回、自動車に乗せたら、整形の看護師が移乗を介助してくれることになっていた。
その時腰がグキッといった。
結果腰椎圧迫骨折となり、痛みに苦しむことになった。


手術の前日面会に行った。
補聴器の電池を入れ替えたので、母に渡して装着するように画用紙に書いた。
自分でつける事ができない。
介助して装着したが、聞こえていなかった。
ケータイ電話も新しくしたが、操作が覚えられない。
電話機の変更は12月で利用終了になるから、やむおえなかった。
もう私をコントロールし、命令する母は消えた。
目の前にいるのは、虚弱で非力な老婆である。
母からされたことは忘れられない。
だが、圧倒的弱者の母は、別人だ。
哀れな老婆である。
もう、苦痛なく余生を送って欲しかった。
母は「サ高住に帰りたい」と言った。
その言葉は、いささかも私を救った。


昨日母の手術後の経過を医師から説明された。
2度脱臼しており、再手術が必要とのこと。
途端にサ高住に対して激しい怒りを抱いた。
半日イライラしていた。
「要介護」の人が入る施設なのに、排泄も移乗も移動も自立していないとみれないと言われていた。
自立した老人向けなら「介護不要」ではないのか。
転んでも気づかない。
気づいても家族に連絡しない。
腹が立った。


早めに眠ったから0時45分に目覚めた。
イライラはおさまった。
それで気づいた。
そういう施設に入居させたのは私だ。
施設に苛立ったのではない。
自分は悪いことをしたと思ったから、激しい怒りが湧いたのだろう。
罪悪感が襲った。
やり場のない怒りをサ高住のせいにして、イライラした。


特別養護老人ホームに入れようと思ったが、選んだところは現時点で45人待ち。
手術後の様子を想像すれば、要介護3はつくと踏んだ。
特養の待機期間の間、老人保健施設で待ってもらおうと思ったが…短期間で入れるところではないと悟った。
移動させてばかりで気の毒だが、やはりリハビリテーション病院へ入ってもらうしかない。
6ヶ月経って特養に空きが無いなら老健に移ってもらい、特養の待機をしてもらいたかった。
環境を変えてばかりでは、母がかわいそうだ。


私は…母にもう苦痛を味わわせたくない。
母の仕打ちは一生心に残る。
うつ病の根本原因であることは間違いない。
じゃあ、仕返しをしたいか?復讐したいか?
もう、前の母は存在しないのだ。
故に仕返しはできない。
か弱き者を苦しめる気持ちは持ち合わせていない。


起きた事象は変えられない。
自ら乗り越えるのが大人だろう。
特養待機の間、我が家で母をみる選択肢はない。
私自身虚弱だ。


今、怒っていない。
ただ、悲しい。

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