身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

母の幸せを考える

私の母は、はっきり言って「毒親」だった。
毒親…という呼び方は、皆んな使っているからあまり好きではない。
この呼び名はスーザン・フォワード「毒になる親」からきているのだろう。
その本は名称が流行る前から読んでいた。


自分だけが殊更に不幸だとは思わない。
だがこの半年の病気と怪我を足しても足りないほど、18歳まで地獄を味わった。


結婚して、やっと母から逃れたが、35歳でうつ病になり、再び両親と同居する。
父が生きているうちは良かったが、母が残された後の13年間の同居で、うつ病は良くならなかった。
施設入居は母に土下座して「離れて暮らしてください」と泣きながら頼んだ。
以後しばらく母の妹の家に預かってもらい、その間軽い脳梗塞になる。
なので施設入居は母は受け入れていた。


母と離れて約3年。
しばらくは抑うつ状態が続いたが、カウンセリングを2年行い
「母から虐待を受けていたと思って良い」
と自分に許可を与えることができた。
これは1年半かかった。
カウンセラーからは「うつ病の根本原因」と言われた。


カウンセリングを辞めて1年近く経つ。
今は母は脅威ではない。
私に取り憑いているのは「私が18歳までの母」である。
これは取り除くことができないと言われた。
代わりに今の自分を過去に戻って守ってあげる「記憶の上書き」ということをした。
最初は「こんなこと」と馬鹿にしていたが、続けているうちに案外効果があった。
ただ近年の母との第二の関係については克服が難しい。
故にいまだに精神状態が安定しない。


それでも現在離れて暮らせている。
母の年金がまあまあ施設の入居費とデイサービス週2回をつけて、事足りる。
我が家からの持ち出しは、オムツ代、日用品、お小遣い月1万5千円だろうか。
まあ、3〜4万円の負担にはなるが、ありがたいと思っている。


精神的な問題を抜かしても、身体的に母との同居は無理だ。
1月4日、母を車椅子から自動車の後部座席に乗せようとして、腰椎を骨折した。
抗体治療をしたとて、昨夜もひどい咳で起きた。
私自身、満身創痍なのだ。


カウンセラーからは「母親を許そうとしなくて良い」と言われている。
昨年までは実際恨んでいた。
だが1月4日、意思の疎通がとれず、右足のつま先を少しでも動かそうものなら「痛い痛い」と言う母の姿を見て、ただただ哀れに思った。


私は母を見捨てたのか?


罪悪感が襲う。


1月15日、母の人工股関節の手術がなんとか終わった。
ただ昨日病院から電話があり、コロナに罹患したとのこと。
同室者からうつったらしい。
と言うことは、手術時コロナだったのか?
母は誤嚥性肺炎でもある。
コロナの治療薬を使うと言っていたから大丈夫とは思うが、葬儀が頭をかすめた。


数年離れて暮らしたことで、母への思いは有耶無耶になった。
昔のことは置いておいて「今の母」を思い浮かべる。
何が彼女にとって、幸せだろうかと考える。
もちろん同居は不可能だ。
今日から料理と洗濯の両方をすることにしたばかりだ。
腰の骨折は、やっと寝返りが打てるようになった。
今日から坐薬を使うのを辞めた。
骨が脆弱な上、喘息の重積発作を起こせば命取りである。感染リスクも高い。


1月14日の見舞い時、酸素チューブ、中心静脈栄養、心電図モニター、酸素飽和度の装置をつけた母と面談した。
受けている治療こそ大仰だが、4日の時より格段に頭がしっかりして、言葉を発するようになっていた。
看護師から
「帰りたいと繰り返し言うので、お見舞いに来てくれませんか」
と頼まれたので、母の妹も連れて行ってきたのだ。
私は画用紙に
「どこへ帰りたいの?」
と書いた。母は口頭でサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の名前を言った。
我が家を言われなくて安堵したが、悲しい気持ちもあった。


私は転んでも長時間放っておかれるようなサ高住ではなく、特別養護老人ホームの入居を考えたが、叔母は
「施設に戻してあげよう」
と言う。


今日の深夜帯、目覚めた時じっと考えた。
母のリハビリの目標を、どこに設定するかである。
もう自力で歩いて欲しくない。
前ブログでも随分書いたが、自力で食事できる程度で良いじゃないかと思っていた。
高齢者看護では「幸福は自立」となる。
そんなことは高齢者に限ったことではない。
私でも自立していない。
夫が先立ったら、強引に脳みそをフル稼働して、サービスを使いまくるかもしれない。
娘を「ヤングケアラー」にはしたくない。
だがこればかりはわからないのだ。
若いうちに死ねば、残された夫と娘は悲しみに暮れるだろうが、子供孝行ではないかとも思う。


虚弱な私が老いたら、施設に入れるのか?
今なら…と考えなくもない。
だから延命はして欲しくないし、癌になったら…どうだろう。
手厚いがん保険に入っている。
私自身、苦しむのは懲り懲りだ。


母をサ高住に戻すなら。それが母の望みなら。
車椅子自力操作で移動でき、立位がとれてズボンとオムツを外し、自分で排泄ができるまで求めるのか?
入院前は、室内自力歩行でパットに排尿してしまってから自分で取り替えていたようだが、補聴器すら自分で装着できない。
排便の問題もある。
そもそも右不全麻痺なのだ。
大変な思いはさせたくない。


車椅子に乗り、立位が取れたら良いかなと思う。
介護する方も楽だろう。
転んでから11日目の手術になり、時間が経過していて骨が複雑に折り重なっていたらしく、長めに骨をカットして、右臀部の筋肉も一部剥がしたと言う。
歩くのが困難かもしれないとのこと。


今気を揉んでも仕方がない。


母は私に「母の理想の女性」を強要した。
私は母に「架空の良い母」を妄想して、親孝行もどきをしたいと考えているのか?
それは母の望みか?幸福か?

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