身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

苛立ち

なぜ、力が出ないのだろう。
気力も、体力も。


やらなければいけないことが、山ほどある。
健康的な料理をパッパと作り、母や叔母の面倒ごとを片付け、せめてA型就労でいいと思うのに。


叔母から電話が来た。明日区役所に行きたくない、と。
白髪が目立つから、恥ずかしいから、と。別の日にしてと。
昨日買い物に行けたではないか!


「パパは、8日9日と出張で、10日は札幌で貯まった仕事を片付けなければいけないから、明日しか時間が空けられない」
「じゃあ、来週で」
「私は体調が悪い。いつ入院になるかもわからない。帽子を被って頑張って明日行こう」
「いやぁ、パパに恥ずかしいもの」
「あのね、介護保険証があればこんなことにならなかったの!1週間延びたら訪問調査もケアマネ決めるのも担当者会議も介護サービス開始も、全部遅れる!私はもう車は運転できないから、おばちゃん連れてあちこち行けない。体調が悪い。トドックも嫌なんでしょ?弁当の宅配も嫌なんでしょ?塩分取りすぎたら、また入院になるでしょ?私は入院するかもしれない。その間に誰が介護保険の手続きを進めるの?パパもギリギリ時間を削っているの!頼むから我慢して!」
「…仕方がないか」


私たちはたくさん背負っている。
タダ働きをしている。
母の次は叔母か!


夫は自分のしでかしたことの罪を考えて、私に尽くしてくれる。
私に尽くすとは、母と叔母の面倒ごとを引き受けることなのか?
私は早く身体を治して働きたい。
老後の不安を取り除きたい。
これじゃ、入院もできない。


皆んな勝手だ!
叔母を放りたい。
だが放っておけば、叔母は入院になる。結果私の仕事がさらに増える。
母もどうなるかわからない。


せめて健康ならよかった。
お金にゆとりがあればよかった。
私の周囲にいる人は、なぜ私から搾取するのか!
自分のやりたいことを考える暇も金もない!


もう誰も何も言わないで欲しい。
自分の後始末ができないなら、せめて私の言うことを聞いて欲しい!

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