身体と心の声を聞きながら暮らす

持病はありますが、穏やかに暮らしたいと思います。

相談とは何か

吉本興業の大崎洋さんという方が退社するらしい。
69歳とのこと。
さんまさんと仲良くしていて、若い頃は2人ともお酒が飲めないから、喫茶店でたくさん話をしたという。
よくわからないが「吉本の顔」という異名があるようで、それは偉い方なのだろう。
人格などは私は知らない。


洗濯物を干した後、ソファーに座ってみかんとYouTubeを見ていた。
夫が書類をばさばさ片付けたところに私がいて、発作を起こしてしまった。
久しぶりに苦しかった。
なんと脆弱な気管支になったのだろう。
吸入をして、プレドニン10mgを飲んだ。


ベッド上にヨギボーの半座位が取れるクッションを置き、寄りかかってiPadでネットニュースを見ていた。
そこへこの記事が書かれているサムネイルを見つけたので、詳しく読んでみることにした。


他の記事は斜め読みしたが、「離婚の相談」をさんまさんにしたという部分は何度も読み返した。
さんまさんは「しゃーない」これだけ言ったとのこと。
その時大崎さんは、自分を恥じたと言う。
自分がしたのは「相談」ではなく「同意」だったと。


……………………………………


・自分の決めたことについて、誰かに同意してほしい
・相談することで、少しでも、自分が抱えるストレスを減らしたい
………


本当に悩みを解決したいのなら、自分に相談するしかない。自分の悩みに答えを出すのは、自分だけだ。


……………………………………


私の場合、ブログに書くことでストレス発散をしている。
文章を書きながら深く追求していった先に、自分はどうすべきかの道筋が見える事もある。
まあ、1/100の確率だが。


「どうしてよいか、わからない」


この時「どうすればいいですか?」と聞かない。
他人は決められない。
意見やその人の経験を聞いて、参考にする。


このように解釈した。


入院中、若いナースに呼吸が苦しいことを散々訴えたが、酸素をしてもらえなかった。
4時間半、空気が肺に入っていかない感じがした。
呼吸ができないのは「死の苦しさ」だ。


翌朝、若いナースに文句を言った。何故酸素をしてくれなかったのかと。


「にゃーさんの苦しさはにゃーさんにしかわからない」


それきり何も言えなくなった。


これはどういう意味だろうか?
悪気はないとは思う。
でも言われた患者の中には怒る人もいると思う。
私は一応「元看護師」だから、考え込んでしまった。


もっと強く苦しさを訴えたら良かったのか?
どうしたら酸素をしてくれたのか?
あの時限界を超えていた。


話が飛躍した。
患者の症状と、相談は別物だ。
私の経験上
「どうしたらいい?」
と聞いてきた人は、既に自分で答えを決めている。
ただ「同意」がほしいだけだ。


「酸素して」「あなたにしか苦しさはわからない」
私はこの時相談はしていないし迷ってもいない。
決定事項を伝えた。
「同意」などどうでもいい。「苦しさを取り除いてくれ」と言った。


私が看護師で、患者さんが苦しいと言ったら、サーチを測って話を聞いた。
話も聞かずに「様子を見て」と言って立ち去らない。
忙しいと言っても、苦しんでいる人を放っておくだろうか?
それは「見殺し」だ。
今にして思えば、若いナースの言葉は「正論」しかし「正解」ではない。
看護師として「失格」だ。


誰も他人のことなどわからない。
わからないけれど、優しい人は選択肢を提示してくれる。
そういうものはとてもありがたい。
「ああ、そういう方法があったか」
目から鱗と言おうか。


私は「こうしてください」と言われると反発してしまう。
けれど、ここで吐き出した愚痴や悩みを拾って…
栄養を考えて「こう言う方法がある」
生活に潤いが欲しくて「花の通販がある」
選択肢をもらう。
なんとありがたいことだろう。


文章の着地点が無い。「結」がない。
無理やり作ろう。
「人のアドバイスを取り入れて、自分で決める」


みかんはソファーで、猫は夫のベッドで眠っている。
夫は母のケータイをとりに行ってくれている。
私は発作が落ち着いた。
平和なことだ。

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